タイの地方料理
東北部
訪れる機会が多分もっとも少ないタイのエリア、東北部は国のほとんど三分の一を占めており、二番目に大きな都市コン・ケーンを擁しています。とは言え、この地域は土地の人々の固有なホスピタリティーで、ますますポピュラーになりつつあります。訪問者は一年を通じてのいくつもの心に残る祭りに出会うでしょう。
隣国ラオスの影響を強く受けた東北料理はねばりのある米(もち米)が主食で、ココナッツや豆類と蒸して食事、デザートの両方に使います。イノンドなどのラオスのハーブは広く使われ、ポピュラーな郷土料理としてはラオスから伝えられたカノム・ブアン(小えび、もやしと入れた)薄い、クリスピーなオムレツがあります。
東北料理は、スパイシーなポークやチキンのミンチを使うラープやソムタム(パパイヤサラダ)、ガイヤーン(バーベキューチキン)などかなり辛いのが特徴です。肉類はしばしば不足がちな物資であったことから、淡水魚、淡水えびは東北料理においては主なる蛋白源となっています。
中央部
チャオプラヤー川の恵みを受ける中央平原、このエリアはその肥沃な土地により、永い間、タイの文化と経済の心臓部となってきました。川の両岸に広がるおびただしい数の稲田が伝統的に食の最も主要なソースを供給し続けてきました。ですから、タイ語の表現の"キン・カーウ "(食事をする)は文字通りに訳すと"米を食べる"となります。
中央部にはご存知のようにガーリック、魚醤とブラックペッパーで味付けられた伝統的なタイ料理、米、魚、野菜の伝統的な料理と豊富な果物があります。アユタヤがタイの都となった時、コエンドロ、ライム、トマトとともに唐辛子をさらに多量に使うことが広まりました。これは1511年にアユタヤと関係をスタートさせたポルトガルによって紹介されてきたのではないかと見られます。
北部や東北部とはことなり、中央平原では、時によって煮たり炒めたりしますが、伝統的には蒸した白米を使います。中央平原はシャム湾にも近いので、川からの淡水魚同様、多くの海鮮を使った料理も見られます。肥沃な土地で、マンゴー、ドリアン、釈迦頭、ポメロやグァヴァなどの果物とともに多くの種類の野菜が成長します。
北 部
北部タイが王国の他の地域と簡単にむすばれるようにったのはわずか、ここ100年来のことです。北部は古代ランナー・タイ王国の一部で、ビルマやラオス国境沿いのチーク材産業では象が働く、野生の密林が広がる山がちの地域でした。チェンマイのように寺院が町を占め、バンコクとむすぶ最初の鉄道は1921年まで開通せず、最近まで良い道路もありませんでした。
その文化とともに、北タイの料理は独特です。指でこねて小さなボール状にし、もっと液状の料理を掬い上げて食べるなど米はねばりのある多様なものになります。北のカレーは生姜、タマリンド、ターメリックを使ったポークカレーのゲーン・ハン・レーやたまご麺入りカレースープのカウ・ソーイなどビルマなど隣国の影響をうけ一般的にはタイの他の地方のそれよりマイルドです。人気のある北タイの特産はネームと呼ばれる酸っぱいポークソーセージです。
伝統的なもてなし料理はカン・トークとして知られている食事です。カンは碗を、トークは低い丸いテーブルを意味します。もち米、一または二種類のカレー、サラダ、スパイシーに挽肉料理、揚げたポークの皮、数種のソーセージ、薬味などが一斉に各自のテーブルに置かれます。季節によっては北部で有名な、おいしいラムヤイまたはロンガンのデザートにであうかも知れません。
南 部
マレーシアに向かって全ての道をひろげている南部は、その背骨にあたる部分に沿って、ごつごつした石灰石の山々を持ち、青々とした密林におおわれた長い半島からなります。一方はシャム湾、もう一方はインド洋に沿い、海岸線は著しく美しい浜辺と豊かな漁港を持っています。また南部にはパイナップル、ココナッツ、ゴムの植林地が広がり、マレーシア国境の回教徒の影響により独特の文化も持っています。
南部の食べ物はその土地の産物に特徴づけられます。ココナッツはほとんどの料理に重要な役割を持っています。そのミルクはカレーやスープの中の唐辛子を沈静し、果肉はおろして薬味とし、油は揚げ物に使われます。生の海の幸はマリーネと海鮮料理の両方に著しく使われています。特産のカシューナッツはスターターや、特にチキンと唐辛子の炒めものに使われます。エキゾチック、苦い風味はサトという平たい豆からつくりだされます。
南タイの料理には多種の文化の影響が見られます。マレーシア料理であるフィッシュカレーやカルダモン、クローブ、シナモンを使ったインドスタイルのマイルドなカレーのゲーンマッサマン、辛いピーナッツソースで食べる、もとはインドネシアの料理のサテーなど。多分、もっとも有名なのは毎年10月にプケットで10日間にわたるベジタリアンフェスティバルを行う巨大な中国社会からの影響でしょう。 |